先日、「南海トラフ巨大地震最大クラス地震における被害想定について」 新たな被害想定が発表されました。改めて「巨大」という言葉が付くことに気づき、意味の重さを実感しました。198ページに及ぶ報告書に目を通しました。地震発生時の被害状況や、人的被害、経済的損失、インフラへの影響などが詳細に示されており非常に衝撃的な内容になっておりました。巨大地震が来ないことを願うばかりです。 報告書の中には、以下のような内容の記述がありました。 「東日本大震災におけるライフライン復旧概況は、90~95%程度の復旧までに約 1 か月を要した。約 90%の復旧に 22 日、約 95%の復旧に 38 日を要している。また、令和6年能登半島地震では、本水道管の全面復旧までに約 6か月を要した。南海トラフ巨大地震ではより広範な被害の発生により、全面復旧がさらに遅れる可能性がある。」 このような過去の事例からも明らかなように、南海トラフ巨大地震が発生した場合、広範囲にわたる被害が発生することが懸念されており、ライフラインの復旧やインフラの再建には東日本大震災よりさらに長い時間がかかることは容易に推測されます。 これを踏まえて我々はどうすればよいのでしょうか。一般的に備蓄品は3日分を用意することが望ましいといわれていますが、南海トラフ級ですと1週間分は最低でも必要になるのではないのでしょうか。飲料水は1日3リットルの備蓄が目安とされていますので、4人家族の場合84リットルもの備蓄が必要となってきます。東日本大震災以上の混乱が予想される中、自分の力で生き抜くための事前の準備を進め、安心して日常生活を送れるようにしたいと思います。       2024年も残すところあとわずかとなりました。 会社にとって今年ほど激動な年はありませんでした。まさにその言葉にふさわしい一年だったと思います。昨年の12月20日をもって、創業時から88年間続けてきた農機事業に幕を下ろしました。それに伴い仙台支店の閉鎖による10名の仲間の解雇、以前仙台支店長を3年間努めていた当時の苦楽を共にしてきたかけがえのない社員たちに解雇を告げることは、非常に辛い経験でした。しかし赤字事業であった農機事業の撤退は、長期的な企業の健全性を考えると避けて通ることはできない状況でありました。これによりコスト構造が見直され効率的な企業運営を実現ことしたで、業績を向上させ収益の増加を図ることができました。 福祉製品の国内外の需要は高まっており、国内福祉事業は前年比115%、輸出事業は153%となりました。今年のトピックとしては、パリオリンピック向けにパリ地下鉄への階段昇降機の採用がありました。 高齢化社会において、介護や支援が必要な人々に向けた製品の重要性が増しています。この分野を強化することは社会的ニーズに応えるだけでなく、持続可能な成長を実現するためには最重要項目です。 お世話になりました皆様方に心から感謝申し上げます。来年も引き続き革新と挑戦を続け、より良い製品・サービスを提供できるよう努めてまいります。来年もよろしくお願い申し上げます。 2025年が、皆様にとって幸多き1年になることをお祈り申し上げます。 株式会社サンワは本日令和6年10月10日をもちまして、89周年を迎える運びとなりました。 これもひとえに皆様方のご支援、ご愛顧の賜物と心より感謝申し上げます。 昭和10年10月10日、東京都渋谷区において農業用運搬車のメーカーとして創業いたしました。                                         社名の由来は、3人で創業したことで三和車輛と命名しました。その後、創業60周年に福祉・物流用階段昇降機の売上が農業用運搬車の売上を上回ったこともあり、                     サンワ車輛株式会社から、株式会社サンワへと改名しました。 本年は、昨年12月に祖業の農業事業から撤退し福祉・物流用階段昇降機のメーカーとしての「第二創業」元年となります。                                    新しい時代に向けて、皆様と共に歩んでいきたいと思っております。 これからも引き続き変わらぬご愛顧とご支援を賜りますようお願い申し上げます。                       先日出張で盛岡へ行った際に、少し足を延ばし陸前高田市にある「東日本大震災津波伝承館」へ行ってきました。 この施設は、過去の津波災害の歴史、被災した実際の物、被災の現場をとらえた写真・映像など、2011年3月11日の悲劇を繰り返さないために、津波の事実と教訓を後世に伝えることを目的としたものです。そこには、2㎞に渡って密集していた約7万本の松林の中で唯一残った「奇跡の一本松」がありました。 その中で、一番印象深かったことを紹介させていただきます。 岩手県野田村にある野田村保育所では、月に1回の避難訓練を行っていました。それ以外でも普段から「速足散歩」という、行きは速足で、帰りはゆっくり歩いて帰って来るという訓練を普段の散歩で行っていました。 その行きの速足に秘密があり、この速足で幼稚園から出掛ける、いろいろな方向に出掛ける、いろいろな季節に出掛ける、いろいろな天候の日に出掛けるという訓練を繰り返して行いました。保育所の先生たちは「津波が来たときに、一体何分ぐらいで子どもたちはどこまで行けるものなんだろうか」「どの方向に歩くと、一番早く安全な高台まで行けるのか」ということを普段の散歩を通して探っていたのです。 そして、この野田村保育所は2011年3月11日あの時も、比較的スムーズに高台に逃れることが出来ました。0歳児は保母さんがおんぶや抱っこをして、1歳児、2歳児は3歳児が手を引いて、命からがら逃げた結果、全員の命を守ることが出来たということです。 約90名の園児は一人として泣く子はいませんでした。 これは保育所の人たちがそれまで積み重ねてきた「速足散歩」という毎日毎日行う散歩の中で、避難ということを意識して行ったという、地道な訓練の積み重ねの成果であったのだと思います。私たちも、日々の暮らしの中で、防災のことを考えて行動しなければならないということを学びたくなる事例です。 岩手では、過去に何度となく津波による災害が発生していました。明治29年6月15日の津波では21,959名が亡くなっています。 ”災害は繰り返し起こる”ということ。 過去の災害から教訓を得て備えることが繰り返し起こる災害から命を守り、被害を減らすことにつながることを再認識しなければなりません。あれから13年が経ち防災意識が薄れかけてきた今、「東日本大震災津波伝承館」を訪れて、改めて学ばせてもらいました。 今年に入ってから能登半島地震以降、地震が多発しています。気象庁の地震発生データベースで確認したところ、すでに4月半ばを過ぎた時点ですでに80回以上も観測しています。そのうち、震度5弱の地震は22回も起きています。 4月3日にも台湾で大きな地震が起き、日本でも沖縄や九州に影響がありました。 ただ、その地震が起こった後に世界が驚いたのは、台湾政府の対応の速さ! 地震発生の数時間後に入ったテレビカメラが映し出したのは、 衣食住などの生活空間が用意された避難所の様子。その光景に感嘆と称賛の声が寄せられたのは言うまでもありません。マッサージやカウンセリングなどさまざまなサービスまで用意されていました。 なぜ、こんなことができたのでしょうか? 台湾も地震や台風などの自然災害が良く起こる地域であることを踏まえ、大規模災害が起きた時に備え、日頃から民間の事業者と提携していたそうです。規模によっては自治体や警察、自衛隊だけでは立ち行かないこともあり、さらにきめ細かいフォローは、やはり民間に頼む方が有効だと考えてのことだそうです。 地震が起きてから、民間にお願いします、、、と言ったところで、選定や手続きなどを行っている間に時間が経って支援にはならないからです。 まさに備えあれば憂いなし。 これは、世界が見習うべき姿勢だと、特に日本は、ぜひ、お手本にしていつどんな災害が来ても台湾と同じ、それ以上の環境を整えられるようにすることが重要だと思います。 ほぼ毎日のように地震などの脅威に晒されている我々も、 政府や自治体任せにするのではなく、常に備えておくことが大切ですね。 災害グッズは特別なものではなく、日常使いできるようなものを備えておくといつでも使えるので安心です。 例えば、電池を使わないソーラー発電機や、普段はクッションとして使っているが、実は中に寝袋が入っているなど・・・ 最近は、日常生活に活用できる防災グッズや防災術が様々なところで紹介されています。 これを機会にチェックして、備えてみてはいかがでしょうか? 明日からゴールデンウイーク後半戦に入ります。オンとオフを切り替えて良い気分転換をして、休み明けにパフォーマンスが向上できるよう、心も身体もリフレッシュしようと思います。3日間ゴルフの予定が入ってます。ちょっとやりすぎ感は否めませんが・・オフ時の楽しみです!   あの日、私は札幌へ出張に行っていました。 いつもは夕方の便で羽田に向かうのですが、なぜかその日に限っては午前中の飛行機に乗り、12時半には羽田空港に到着していました。 今思うと、 もし通常通り夕方の便で帰京していたなら、 大変なことになっていただろうし、 帰ってくることすらできなかったのではと肝を冷やします。 その後、最寄り駅の駅前で遅い昼食を取っていた時に地震に遭いました。 今まで経験したことのないような突き上げるような衝撃と、その後の波打つような振動に、周りの車や建物がまるでゴムでできているかのようにグニャグニャと曲がっていたのを鮮明に覚えています。 その後、会社へ向かう車の中から家族や社員の安否確認をしたのですが、携帯もなかなか繋がらず、 特に、仙台支店の社員がみんな無事でいるのかを確認するのにかなり時間がかかりました。 幸いなことに、仙台の社員もその家族もみんな無事だったという連絡が入った時は、心底胸を撫で下ろしました。 幸いにも私の周りは様々な偶然が重なり、大きな被害を被ることはありませんでした。 しかしそれは逆に考えれば、紙一重だったのだと思います。 未曾有の災害は、 私たちが今まで当たり前だと思っていたことをことごとく覆していきました。 自分の家族を迎えに行く途中、津波に遭ってしまった方や、 逆に、迎えに来てくれることを信じて家で待っていた方が、被害に遭ってしまったり、、、、 家族なら仲間なら当然だと思う行動が、逆の結果になってしまったということがどれほど多かったか。 13年経った教訓は、まずは自分が生き延びるためにどう行動するかを1番に考えることだそうです。   岩手県大船渡市への到来した津波の高さは、3階建ての建物をも一気に飲み込む16.7mだったと推定されています。この高さを知っているだけで、とれる行動は変わってくるはずです。  

「過去の被害は消せないけれど、未来の被害は減らすことが出来る」

  それぞれの家族に、 それぞれの3.11の体験があると思います。 その経験を無駄にすることなく、みんなで、災害が起こった時にどう行動するか、どこに集まるか、 連絡する手段は何か?など、 改めて、家族で話し合って欲しいと思います。 東日本大震災でお亡くなりなった方にお悔やみを申し上げるとともに、 未だに避難生活を強いられている多くの方々に、お見舞い申し上げます。 2024年1月1日に発生した能登半島地震。2か月たった現在でも避難所には1万人以上の方々が滞在を余儀なくされています。地域的に高齢者が多く、その中には障害を持つ人たちも含まれています。東日本大震災では障害者の死亡率が健常者の2倍と、災害時は自力での避難が困難な人が取り残されやすい傾向にあります。また、地域や事業者で行われている避難訓練は、いわゆる健常者を想定したもので、ここでも身体に障害のある人は置き去りにされがちです。特に高所避難に関してマンションなど集合住宅やオフィスに義務付けられている「避難はしご」などを使っての避難は、健常者でも難しいのに高齢者や歩行困難者のことは全く考えられていません。 車いすを利用しているある女性は、マンションの最上階に住んでおり、もし地震や火災などで避難しなければいけなかったとしても、自分はもう諦めるしかないと思っていたと言います。 地震などの災害時に、高齢者や障害者などの避難行動要支援者など誰も取り残さず避難するためにはどうすれば良いのか? 最近では、要援護者などを見守り支援する仕組みを事業化している自治体などもあります。近隣住民や自治会、民生委員などの地域のみんなが協力し合って、地域で見守り、何かあったらみんなで助け合う体制を作る取り組みです。日ごろから自分たちの生活する地域でどのような助け合いの取り組みがあるのかなど、自治体に確認しておくことは重要ですね。 さらに、マンションや団地などの集合住宅にお住いの方は、自治会などに災害があった際の避難に介助が必要だということを伝えておくのも対策の一つです。その際に、避難行動要支援者をどのように避難させるか・・・をきちんと準備しているのか?確認するのも忘れずに。 高層階からの避難に対してのどんな準備をしているのか?垂直避難に対して対応できる避難車などを用意しているのか?などを確認してみてください。 諦める前に、地域の人たちとコミュニケーションを取って、誰一人取り残さない避難をみんなで実現できるように備えておくことが重要ですね。 サンワとしても、大きな災害時の教訓を活かし、誰もが安心して生きていける社会のために様々な貢献していきたいと考えています。   本年もよろしくお願いいたします。 まずは、元日に北陸地方を中心に発生しました能登半島地震により、お亡くなりになった方々や ご家族の皆さまに謹んでお悔やみを申し上げますとともに、被災されました皆さまには、 心よりお見舞いを申し上げます。 また本日は、くしくも29年前に阪神淡路大震災が発生した日。 追悼会場では、犠牲者を悼み竹や紙の灯籠でつくられた「ともに」。 この日以降にも、東日本大震災、熊本地震など何度となく地震に見舞われてきました。 今、我々ができることは、被災地を支援することはもちろんですが、 いつ何時おきるかわからない地震や自然災害などの被害に如何に備えるかということ。 特に高齢者や障害を持つ方々、その周りにいる人たちが如何に災害弱者を守れるか ということを真剣に考え、備えなければいけないと痛感しました。 災害への対応は、その内容によって変わってきます。 今回の津波や水害などによる被害であれば、少しでも早く高いところに避難する垂直避難が重要になります。 また、火災や建物の倒壊などでは、その場から迅速に逃げること。 そんな時に、災害弱者の人たちを素早く避難できるように備えることが、 一人でも多くの人の命を守ることにつながります。 弊社もこの教訓を生かし、避難用・福祉用階段昇降機のさらなる開発に取り組み、 より多くの皆様に、安全と安心をお届けしていきたいと考えております。 2023年ももうすぐ終わろうとしていますが、今年のサンワにとっての最大の出来事は、農機部門を閉鎖したことです。1935年農業用運搬車の製造・販売からサンワの歴史が始まっており、わが社のルーツと言っても良い部門でした。長くお世話になりましたお客様より、惜しまれる声も多くいただきました。 長年に渡り、お力添えくださった皆様に、心から御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。 2024年のサンワ社は、大きな転換期をむかえます。今後は福祉用・物流用階段昇降機を中心とし、第二創業期へ突入致します。そんな中、54年前に建設した現狭山工場を立て替えるプロジェクトを開始します。また、2024年夏に開催されるパリオリンピックでは、弊社の福祉用階段昇降機が採用され、パリの地下鉄でも活躍することとなります。 来年はさらなる飛躍の年にいたします。 年末年始、ご自愛いただき、良いお年をお迎えください。 東京ビッグサイトで行われている「国際福祉機器展2023」3日目最終日の朝、会場へ向かう電車の中で書いています。 普段あまり電車に乗る機会は無いですが、半数の方はマスクしていないのですね!男性の着用率の方が高いように見受けられます。 展示会は2日間が終わって8万人以上の方の入場があり、今日で10万人を超えるのは確実でコロナ前の入場者に戻りました。弊社ブースにも多くの方がお越しいただき、盛況のうちに最終日を迎えられそうです。 実際の階段を設置し、介護保険対象の階段昇降機5機種の試乗・操作を体験していただいております。本日で最終日となってしまいましたが、様々な出会いを楽しみにしております。 本日は中秋の名月。帰りは空を見上げて何を思う・・ 来週はもう10月です。ラストスパートです!  

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