13年前の今日

あの日、私は札幌へ出張に行っていました。
いつもは夕方の便で羽田に向かうのですが、なぜかその日に限っては午前中の飛行機に乗り、12時半には羽田空港に到着していました。
今思うと、
もし通常通り夕方の便で帰京していたなら、
大変なことになっていただろうし、
帰ってくることすらできなかったのではと肝を冷やします。

その後、最寄り駅の駅前で遅い昼食を取っていた時に地震に遭いました。
今まで経験したことのないような突き上げるような衝撃と、その後の波打つような振動に、周りの車や建物がまるでゴムでできているかのようにグニャグニャと曲がっていたのを鮮明に覚えています。
その後、会社へ向かう車の中から家族や社員の安否確認をしたのですが、携帯もなかなか繋がらず、
特に、仙台支店の社員がみんな無事でいるのかを確認するのにかなり時間がかかりました。
幸いなことに、仙台の社員もその家族もみんな無事だったという連絡が入った時は、心底胸を撫で下ろしました。

幸いにも私の周りは様々な偶然が重なり、大きな被害を被ることはありませんでした。
しかしそれは逆に考えれば、紙一重だったのだと思います。

未曾有の災害は、
私たちが今まで当たり前だと思っていたことをことごとく覆していきました。
自分の家族を迎えに行く途中、津波に遭ってしまった方や、
逆に、迎えに来てくれることを信じて家で待っていた方が、被害に遭ってしまったり、、、、
家族なら仲間なら当然だと思う行動が、逆の結果になってしまったということがどれほど多かったか。

13年経った教訓は、まずは自分が生き延びるためにどう行動するかを1番に考えることだそうです。   岩手県大船渡市への到来した津波の高さは、3階建ての建物をも一気に飲み込む16.7mだったと推定されています。この高さを知っているだけで、とれる行動は変わってくるはずです。

「過去の被害は消せないけれど、未来の被害は減らすことが出来る」

 

それぞれの家族に、
それぞれの3.11の体験があると思います。
その経験を無駄にすることなく、みんなで、災害が起こった時にどう行動するか、どこに集まるか、
連絡する手段は何か?など、
改めて、家族で話し合って欲しいと思います。

東日本大震災でお亡くなりなった方にお悔やみを申し上げるとともに、
未だに避難生活を強いられている多くの方々に、お見舞い申し上げます。